Daihatsu Charade [1993 Trust Bank Safari Rally #19 Jack Guy / Page-Morris Des]
- 93年サファリ・ラリーでのクラス優勝マシン
- DCCSでも保管されていたワークスマシン
- ラリー参戦時そのままの姿を残す
- エンジンも当時のワークスエンジンを搭載
小さな巨人
ラリーという競技において、最高峰のカテゴリーが、世界ラリー選手権、通称“WRC”。
その選手権の中で中で世界三大ラリーと称されるのが、ラリー・モンテカルロ、RACラリーと、サファリ・ラリーだ。
1953年から開催しているサファリ・ラリーは世界一過酷なラリーとも言われ、その歴史の中で数々の日本車がタイトルを獲得。『壊れない日本車』のイメージを世界に発信し続けている。
全盛期には、トヨタ、スバル、三菱など、日本の多くのメーカーが参戦していた。
その中の一つがダイハツだ。
1960年代から精力的に活動し、1979年に初めて国際ラリーでもある、ラリーモンテカルロにG10型 シャレードを投入。
1981年グループ2カテゴリーの最小排気量クラスで優勝を飾った。
2代目シャレードは、レギュレーションとの戦いの中で勝機を見出し、グループBにカテゴリーを切り替え1985年以降のサファリー・ラリーに参戦を続ける。
1988年から、3代目シャレード“G100型”を投入し、1993年までに多くのクラス優勝を重ねていく。
1L ターボのシャレードが200km/hを超えスピードで駆け抜け、総合で2L ターボのトヨタ セリカ4台に続く、5-7位をG100型 シャレードが独占。
インプレッサや、ランサーエボリューションなど、排気量で1L上回るグループAマシンを抑える好成績を納め、その年を持って、ワークス体制での海外ラリー参戦は終了する。
そんな、ダイハツにとって歴史的な1993年のサファリ・ラリーにおいて、クラス優勝を果たした車両が、このゼッケン19番のダイハツ シャレードだ。
当時、ラリーに参戦した際に使用していたナンバープレート、カラーリングそのままに保管され、エンジンも搭載する、正真正銘のワークスマシン。
メーターを覗くと、オドメーターは5,787kmを指す。
このクルマのオーナーは、ダイハツ関係者というわけではない。
所有していたルノー ゴルディー二のメンテナンスをしていたメカニックが、DCCS(ダイハツ・カー・クラブ・スポーツ)の社長の甥っ子というなんともラッキーな状況で、この伝説のマシンが近くにあることを知ってしまう。
DCCSが将来博物館を作った際には、展示しようと残していた車両だとは聞き、譲ってもらえるとは思ってはいなかったが、ダメ元でも一度は想いを伝えようと、譲って欲しい旨を伝えると、なんとあっさり承諾してもらえたことにオーナーもびっくりしたそうだ。
しかも、ダイハツ本社もこの個体の行方を探していたらしく、譲って欲しいと連絡が来たなんて逸話も残されている。
ダイハツ史料展示館には、全体7位を獲得した12号車が展示され、長野某所の納屋に最高位を獲得したこのマシンが残されていることから、オーナーがどんな選択をしたのかは察していただけるだろう。
今ほど、いろいろな情報が簡単に手に入らない時代に、テレビを通してみる海外でのラリーはキラキラしていて憧れの世界だったと語るオーナーにとってもシャレードは憧れの存在だったのだろう。
本物のワークスマシンが手に入れば走りたいと思う気持ちになるのは当たり前だが、エンジンを掛ければ、直管のマフラーからはけたたましいレーシングサウンドが鳴り響くそうだ。エンジンを掛けるだけで、ご近所からのクレームが入る代物に、オーナー自身が乗って楽しむ時間はほとんどなかったそうだ。
エンジンは、ラリー後にワークスの手によりオーバーホールをした状態で手に入れたそうだが、コンピューターは他に所有していたものと入れ替えをした為、完全なオリジナル状態ではないそうだ。
しかし、今回この車両には、1993年サファリ・ラリー参戦時のドライバーネームの入ったエントリーカードも付属する、正真正銘のワークスマシンになる。