1955 Mercedes-Benz 300SL Gullwing
- 1400台が生産された“ガルウイング”
- 1955年製のスチールボディ・モデル
- 1978年にレストアを施しボディカラーを変更
- 良質なコンディションを保った個体
レーシングカーで培った高度な技術を市販車に対して惜しみなく注入する———現代においてはスーパースポーツカー開発における定番の手法だが、それをはじめて採用した歴史的モデルとされるのがメルセデス・ベンツ300SL ガルウイングである。
300SL ガルウイングは1952年のル・マン24時間レース、そして当時「世界一過酷なレース」と謳われたカレラ・パナメリカーナ・メヒコなど数多くのレースで優勝を果たしたプロトタイプレーシングカー(W194)をベースとした2シーター・スポーツクーペとして、1954年2月のニューヨーク国際オートショーでデビューした。
モデルコードはW198。当時ニューヨークで欧州製の高級車インポーターを経営していたマックス・ホフマンが、カレラ・パナメリカーナ・メヒコでの活躍を通じてアメリカの裕福なスポーツカー愛好家の間で人気が高まっていたW194の市販化に大きな需要を見込み、1000台の確定注文を事前に取った上で製造元のダイムラー・ベンツ社を説得し生産のゴーサインを得たというのは有名な逸話である。
300SL ガルウイングといえばその車名の由来にもなっているルーフ上にヒンジのある跳ね上げ式の左右ドアが特徴。ドアを開放するとカモメの翼のように見えることから「ガルウイング・ドア」と名付けられている。本来レーシングカーとして生を受けたことでシャシーは軽量化と強度を両立させる目的で細い鋼管を組み合わせたマルチチューブラーフレームを採用し、その結果としてサイドシルが高くなり通常の横開きのドアでは乗降性に優れないことから特徴的な跳ね上げ式のガルウイング・ドアが採用されることになった。
左に50°傾けてシャシーのフロント側に搭載される3ℓ 直列6気筒SOHCエンジン(M198型)は、プロトタイプレーシングカーのW194用で装着されていたソレックス製のキャブレーターに替えてボッシュ製の機械式燃料直噴装置を採用。これはガソリン車として史上初となる試みで、最高出力はベースエンジン(W186/300リムジン用)の2倍近い215ps/5800rpmを発生し、軽量なボディとの組み合わせにより当時の市販車としては驚異的ともいえる263km/hのトップスピードを誇った。
300SL ガルウイングの当時の北米での販売価格は6820ドル。窓も開閉できず室内空調もなく、なおかつ女性には非常に乗り降りのしづらい大きなサイドシルを持つガルウイング・ドアを持つなど実用性という面では劣っていたこともありその生産は1957年に僅か2年ほどで終了する(以後、300SLのモデル名は通常の横開きドアを採用したロードスターに引き継ぎ1963年まで生産)ことになるが、それでも最終的な総生産台数は1400台と、ロードスターの1858台と比べても決して少なくはない台数が世に出回った人気モデルである。
シャシーナンバー“198.0405500689”を持つ出品車両は、1955年8月30日にラインオフされ、翌31日に西ドイツからアメリカ・ニューヨークへ向けて出荷された記録が残る個体。オリジナルのボディカラーはライトブルーメタリック(DB353)でエクステリアはレッドレザー(1079)だった。ファーストオーナーはオハイオ州在住で、数年後に同じくオハイオ州在住のオーナーに転売された後にカリフォルニア州へと渡り、1人のオーナーの元で過ごした後に1978年に著名なコレクターであるカリフォルニア州ニューポートビーチのチャールズ・ブラームによって大掛かりなレストアレーションが施されている。この際、ボディカラーはファイアーエンジン・レッド(DB534)へとリペイントされ、エクステリアもタンレザーへと変更。また新車当時にオプション設定だったノックオフ式のセンターロックホイールもこのレストア時に装着された。その後、1989年にブラーム氏からロスアンジェルス在住のオーナーの元に転売されるが、その直後の同年(平成1年)11月に日本のコレクターの元へと渡り、以来、今日まで日本で大切に動態保存されてきた個体である。
ボディ、インテリア、そして機関系ともに非常に良好なコンディションが保たれており、フルレストアから40年以上が経過していると感じさせないほどの美しい佇まいを見せてくれる。シャシーナンバー、ボディナンバー、エンジンナンバーともにマッチングしており、純粋なコレクション用としても、またはクラシックカーラリーなどに参加するための現役マシンとしてもお勧めできる、非常に良質な1台である。