1988 TAISAN STAR CARD F40 (JGTC) Ferrari F40 Street JGTC Ver.
- ・1994年 初年度登録
- ・ロードカーベース車両
- ・1ナンバー付き車両
車両解説
■ノーマルスペックから優勝マシンへ
全日本GT選手権が開幕した1994年、イタリアGT選手権に刺激を受け、チーム・タイサンは誰もが予想していなかったフェラーリF40で参戦した。チーム・タイサンの千葉代表はまずロードカーのF40を購入。当然ながら、まったくのノーマルスペックだったが、各部を強化しながらレースを戦い抜き、イタリアGT選手権のチャンピオンドライバーであり、元1ドライバーのオスカー・ララウリを招聘。第5戦の美祢では太田哲也選手とのコンビで見事総合優勝を飾ったのである。
■F40本来の性能を引き出すアップデート
ラウンドを重ねるごとに、トラブルシューティングしながら、F40は進化していった。JGTC仕様といっても、478ps/577Nmを誇るF120A型V型気筒ユニットはチューニングせず、レスポンスアップを狙ってワンオフメイドのストレートパイプを装着(現在はサイレンサー付き)。
■決め手はエアロダイナミクス
エアロダイナミクスとシャシー関係の改良に着手し、フロントカウルは左右それぞれ5mmずつワイド化したオリジナルのF40LM仕様へと変更。リアウイングもまたオリジナルで可変式に変更。足まわりはF40LM用のピロボールを採用したのに加え、OZレーシングの軽量マグネシウムホイールをセットし、バネ下重量の軽減を図った。
もともと装備しているロールバーはフロント部分だけ追加補強しており、実戦で各部がモディファイされていった。現在は、当時のJGTC仕様を極限まで維持しつつ公道走行が可能になるようモディファイされている。
History
●日本のサーキットを走るF40を夢想する
1994年に始まったJGTC( 全日本GT選手権)。これは後に日本最高峰のレースカテゴリーである「スーパーGT」へと続く礎を築いた。そんなジャパンレーシングヒストリーにおいて重要なレースに、一際注目を集め、圧倒的な存在感を放つ車があった。それがこの「チームタイサンスターカードF40」である。
当時、イタリアン・スーパーカーGTをはじめ、欧州レースではポルシェ964RS、ジャガーXJ220などスーパースポーツが鎬を削る、夢の様な車両が軒を並べていた。そんな中でチームタイサンの代表、千葉泰常はある雑誌の記事に目を止める。それはスーパースポーツが欧州レースで群雄割拠する中で、他を寄せ付けない活躍を見せていたフェラーリF40の姿だった。千葉はこのF40が快音を響かせならがら日本のサーキットを疾走する姿を想像し、絵も言われない胸の高揚を感じる。
●苦戦を強いられた開幕戦
千葉はすぐさまF40を購入。JGTCの開幕戦の舞台となった富士スピードウェイでその姿を披露した。真紅のボディカラーを身に纏ったこのスーパーカーはもちろん、レースファンの間で話題となり、一挙に注目が集まった。しかし当時はF40のレース用パーツというのは入手しづらく、ほぼノーマル状態での出場を余儀された。他のチームが豊富なノウハウを用いて作り上げたレースマシンの前では、流石のF40 でも苦戦を強いられることとなる。
●チームタイサンの情熱が結実する瞬間
しかしこのF40を日本のレースで走らせることに大きな意味を見出していた千葉は、諦めることなく、マシンの不安箇所を一つずつ潰していった。その効果は徐々に現れ、第4戦菅生で見事ポールポジションを獲得。さらに本場イタリア・スーパーカーGTで活躍していたオスカー・ララウリをドライバーに迎え、勝利に一気に近づいていった。
そして1994年、美祢サーキットを舞台に行われた最終戦。スターカードF40は見事なロケットスタートを決め、トップに躍り出る。しかしその背後には、同チームから参戦していた「962C」 が迫っていた。2台は抜きつ抜かれつの熾烈なバトルを繰り広げ、最終的にF40がトップでチェッカーを受ける。
●時代が移り変わっても忘れられることのない美しさ
大活躍で幕を下ろした94年シーズンだったが、翌シーズンでは国産ワークスの本格的な参戦、新レギュレーションの性能調整により、F40はそのスペックを十分に発揮できなくなる。結果的にこのF40が勝利の栄冠にか輝いたのは94年の美祢が最初で最後であったのだ。
だが、チームタイサンよる類い稀なる情熱により実現した、この美しい車が日本のサーキットを猛スピードで駆け抜けていったその光景は、多くのレースファンの記憶に深く焼き付き、永遠に語り継がれる伝説となったのである。