BINGO(株式会社BH AUCTION)

1991 Honda NSX

  • 30年以上ワンオーナーにより保管
  • 「NSX」エクステリアデザインに携わったデザイナーが所有
  • 走行距離4万km弱
  • 極上コンディション
  • 限りなくオリジナルに近い状態を維持

車両解説

●”作り手”による寵愛を受けた一台

日本史上初のスーパースポーツとして、語り継がれるHONDAの傑作『NSX』。当個体は、極上コンディションを維持し、30年以上に渡って大切に保管されていたワンオーナー個体である。

その保管期間の長さには、オーナーが抱くこの個体への並々ならない愛情を感じさせる。それもそのはず、オーナーはこの希代の名車のエクステリアデザインに携わった設計チームの一員だったからだ。

そのため車体は、驚くほど美しい状態となっている。ボディにはニューフォーミュラレッドを纏い、リアウィンドウには当時の「HONDA F1」のステッカーが誇らしげに貼られている。

これは「NSX」開発期間と同じく、当時F1で活躍していた「セナ」に後押しされ、開発に心血を注いだエンジニアたちの熱気を強く感じさせてくれよう。

内装ももちろんオリジナル度の高い良好なコンディションを維持。純正ステアリング、レザーのシート、内張に至るまで、丹念な手入れが行き届いている。

走行距離もわずか4万Km弱。ここまでのコンディションを維持し、尚且つ、”作り手”にしか持ち得ない深い愛情が注がれた「NSX」は、 この個体の他にないだろう。

●日本史上初のスーパースポーツの誕生

ホンダが日本初となるスーパースポーツの開発に着手したのは1980年代の初頭だった。未曾有の好景気に沸き立っていたバブル全盛期。念願のF1復帰を果たしたホンダのエンジニア陣の間では、スポーツカー開発の機運が高まっていた。

そこでホンダは日本初となるスーパースポーツの開発に着手する。そして、運動性能において「世界一のスポーツカーを作る」のはもちろん、それまでのスポーツカーにはない革新的なコンセプトを掲げたのである。それはドライバーが快適に操縦できるスーパーカーを作ることだった。これは機能性のため、居住性、快適性を蔑ろにしてきた世界のスーパースポーツに向けた挑戦状でもあった。

開発責任者の上原繁氏はこう語る。「クルマは、人間と触れ合う機械。本当にいいクルマかどうかは、乗った人間が感動できるかどうかによるんです。」

これはホンダが自動車開発において重きを置いてきた、人間と機械である自動車が高レベルで調和し、拡張身体として機能することで、全く新しい自動車を作り出そうとしてきた理念そのものだった。

その考えに基づきNSXは、コックピットのスペースを広くし、エアコン、パワーウインドウ、TCS、ABSなど、ドライバーファーストな機能を満載することが至上命題となったのである。しかし、もちろんそれだけの装備を搭載することは、車重が増えること、つまりスポーツカーにも関わらず走行性能を犠牲にすることを意味していた。

世界を圧倒する運動性能を維持しつつ、快適性を両立するためにはどうすれば良いのか?開発陣は悩み抜いた挙句、一つの答えを導き出す。それは、世界に類を見ない、オールアルミモノコックボディを採用することだったのである。

●打倒フェラーリを掲げた、前人未到の挑戦

鉄に比べ3分の1しか質量を持たないアルミボディは、圧倒的な軽量化が可能となる。ホンダはこれが実現できれば、ライバルに挙げていた「フェラーリ328」を打ち負かすほどの運動性能が確保できると確信していた。

しかし世界のどのメーカーもアルミモノコックを採用していなかったのには理由がある。それは鉄に比較すると成型や溶接に高度な技術が要求され、コストが高くなること。そしてアルミボディー専用工場をつくらなくてはならないことだった。

エンジニアたちはこれを実現できるアルミ材料メーカーを探し出すため、日本中を奔走する。相談を依頼された神戸製鋼所をはじめとしたメーカーたちは、あまりに現実離れした提案に困惑。しかしエンジニアたちの常軌を逸した情熱に突き動かされ、この難題に共に立ち向かった。

連日連夜研究は続けられ、独自の金型から押し出す成形方法、ハニカム構造の高度化など、さまざまな工夫がなされた。そうした艱難辛苦の末、遂に誰も成し遂げたことがなかった、世界初のオールアルミモノコックボディが誕生したのである。

●アイルトン・セナのテストドライブで得たもの

エンジニアたちは、出来上がった試作車を引っ提げて、鈴鹿サーキットで最初のテストを行った。ドライブしたのは、アイルトン・セナ。セナは、テスト車両を降りてすぐ、ボディの剛性不足を指摘した。やはりアルミボディで世界のスーパースポーツに匹敵する剛性を手に入れるには一筋縄ではいかなかったのである。

そこでホンダは、テスト車両をドイツニュルブルクリンクに持ち込み、徹底的なテストを開始。それには飽き足らず、サーキット近くにはガレージと事務所を借りてワークショップを設営した。こうした海外での開発テストは日本メーカー初の試みであり、NSXにかけるホンダの本気度が否が応でも伝わってくるエピソードだ。

厳しいテストが繰り返し行われ、ボディはコンピュータで隅々まで解析が行われた。この結果、ボディはテスト前に比べて50パーセントもの剛性アップを実現。ホンダが7年もの開発期間で追い求めた理想が実現した瞬間だった。

●その新しさは常識すらも変えてゆく

1990年、長い開発期間を経て、NSXが遂に一般販売される。確かな剛性を確保しつつ、オールアルミモノコックを実現した車両重量は、従来のスチールボディに比べ200kgの軽量化に成功。そこに世界のエンジンメーカーホンダが誇る「3L V型6気筒DOHC」VTECエンジンを、ミドに搭載した。最高出力280ps、最大トルク30.0kg-mを発生するこのエンジンは、高いレスポンスを誇り、誰でも扱いやすい操作性を実現したのである。

そして開発初期からホンダが掲げてきた居住性も、徹底的なこだわりによって落とし込まれた。コックピットは従分なスペースが確保され、ステアリング、ペダル位置もドライバーが自然な体勢で操作できるよう考え抜かれて配置された。車体中央よりやや前よりに据えられたキャノピーは、水平方向311.8°という圧倒的な視野の広さを確保していた。

さらにホンダがこだわったのがその耐久性の高さだ。NSXは他のスポーツカーに比べて圧倒的な耐久性を誇り、スーパースポーツのデリケートなイメージを払拭してみせたのである。NSX発売以後、フェラーリをはじめとした世界的なメーカーも、快適性と耐久性を重視するようになったと言われている。日本から生まれたNSXは、スーパースポーツという自動車の1ジャンルを根底から覆す革命を起こしたのである。

これは、ひとえにホンダのエンジニアたちが、世界一のスポーツカーを作るという、類い稀なる気勢と、野心が結実した賜物である。

スポーツカーの存在感が希薄になってきている昨今。しかし、この車が存在し続ける限り、次の世代へと繋ぐべき、モノづくりを追求し続けた”作り手たち”の熱い思いが失われることはないだろう。NSXはそんな気持ちにさせてくれる、日本が誇るスポーツカーなのだ。

PRICE:

POA

Chassis No. NA1-1003787
Odometer. 38,247km