1991 KLEPPER TAISAN GT-R(JTC) NISSAN SKYLINE GT-R/Gr.A(BNR32)
- 1991年グループA(全日本ツーリングカーレース)フル参戦車両
- N1仕様ノーマルエンジン換装
- オリジナルブレーキ水冷システム
- 新車販売価格(1990年)5,500万円
車両解説
■速さの秘訣は独自の水冷システム
当車両は1991年のグループA(全日本ツーリングカーレース)において実際にフル参戦した個体となる。レースではBNR32型GT-Rの開発テストドライバーを務めた高橋健二、そして”ドリフトキング”土屋圭市がステアリングを握ったことでも有名である。
当時のグループAはBNR32型GTRがあまりにも速く、出場車両はGTRだけの事実上ワンメイクレースとなっていた。そんな中で、このタイサン号が活躍できた要因は独自の水冷システムだ。
■開幕戦の失敗を糧として
開幕戦こそ他チームと同じ空冷システムをブレーキに採用していたが、GT-Rが絞り出す圧倒的なパワーの前で、タイサンはリタイアという苦渋を飲むこととなる。そこでチーム代表の千葉は、経営していたポンプの製造を主とする太産業工業の技術をレースに流用し、形勢の逆転を図ったのである。
20リットルのウォータータンクを備え、ブレーキローターに直接水を吹きかけて冷却を行なった。これは絶大な効果を発揮し、第2戦鈴鹿では2位、続く第3戦筑波でも2位という好成績を残す。もちろんこの水冷システムは現在もそのまま備え付けられてあり、ドライバーシートの後ろには水を注入する給水口が確認できる。
■現在も色褪せないGT-Rのエンブレム
エンジンこそノーマル(N1仕様)に換装されているが、足回りのパーツなどの大部分も当時のグループA仕様が維持されている。足元には、当時ものであるマグネシウム製センターロックホイール「VOLK RACING SUPER FINE」も装着されており、その表面には数々の激戦を戦い抜いてきたことを思わせる傷跡が残る。
一時代を築き、チームタイサンのアイコンとなった32 GT-R。現存するのは91年グループAにフル参戦したこの個体と、日産ヘリテージコレクションに展示されている92年から93年にかけて使用された個体のみとなる。
History
●GT-Rで勝つために
チームタイサンはBNR32 GT-Rで91年からグループAに参戦する。好成績を残したものの、ニスモから十分なサポートを受けられず、優勝には至らなかった。
そこで翌年にはチーム体制を一新。チームタイサンはスポンサーという形で参加する。これはドライバーを務めた高橋国光に依頼されてのことだった。もう一人のドライバーは引き続き土屋圭市が続投。そして土屋にとってそのレース人生のきっかけとなった”憧れの人”高橋国光とコンビを組み、最高のマシンであるGT-Rでレースに出場することは、長年抱き続けてきた夢でもあった。
●速さを追い求めた究極のマシン
そんな”最高のマシン”と言われたGT-Rは、グループA規定内で全て再設計されている。足回りのパーツは全て専用設計。車軸の支えとなるアップライト、ミッションケースはマグネシウム合金、プロペラシャフトはカーボン製が採用され、徹底的な軽量化が行われた。
エンジンは日産工機がチューニングしたものを搭載しており、ブースト1.6kg/c㎡で600ps以上のパワーを発揮する。その速さは圧倒的で他車種では全く歯が立たず、登場以来グループAは事実上GT-Rのワンメイクレースとなる。
●ドライバーの腕と度胸が試される極限の戦い
そしてグループA車両のもう一つの特徴だったのが、空力パーツが量産車と同一のものだった点だ。そのためダウンフォースはないようなものだった。650馬力という大パワーを制御するのはドライバーの手足のみだったというわけである。
もちろん”速さ”を追求したマシンは、搭乗者への配慮は度外視された。300キロを超すとフロントはリフトし、灼熱の室内ではペダルが加熱して、シューズの底が溶けて張りついた。そんな過酷極まる状況をものともせず、ドライバーたちは暴れる車体を強引にねじ伏せ、スライドしながら怒涛のようなスピードでコーナーを駆け抜けていく。
●伝説の3位争い
幾多の名勝負が行われたが、その中でも92年の第3戦SUGOでタイサンGT-Rは魅せた。
ドライバーの土屋は、久しく表彰台に上がっていなかった高橋を再び壇上に上げるべく、並々ならない思いでレースに臨む。5位のポジションで高橋から土屋へステアリングが託されると、レース史屈指の熾烈な3位争いが始まる。
闘争心剥き出しのドライビングは、まさにプロドライバーとして、一人の人間として、プライドをかけた大一番だった。土屋は終始鬼神の如き走りを見せて見事3位入賞。憧れの高橋と悲願の表彰台へと登ったのであった。
●受け継がれる伝説
一時代を築き、チームタイサンのアイコンとなった32 GT-R。現存するのは91年グループAにフル参戦したこの個体と、ニッサンミュージアムに展示されている92年から93年にかけて使用された個体のみとなる。
今尚色褪せる事なく、このGT-R のエンブレムは日本レーシングヒストリーのなかで燦然と輝いている。このマシンが生き続ける限り、GT-Rがもたらした不敗神話と、チームタイサンが見せてくれた熱い走りは永遠に受け継がれていく事だろう。