1965 Alfa Romeo Giulia Sprint GTA
- 生産台数はコルサ含め501台
- 徹底的に軽量化された元祖GTA
- 非常に高いオリジナル度
戦前は超高級車メーカーであったが、戦後まもなく量産車メーカーへと舵取りをしたアルファロメオ。量産車ジュリエッタで成功を収めたアルファロメオは、後継車としてジュリアを発表し、こちらも上々な販売を記録していた。元来よりレースに重点を置いていたアルファロメオは、4ドアの「ジュリア TIスーパー」でヨーロッパツーリングカーチャレンジ(ETC)に参戦するも、ロータスが手掛けたフォード コーティナに辛酸を舐めさせられてしまう。アルファロメオはより強力なマシンを製作するため、ベース車両にベルトーネが手掛けたクーペ「ジュリア スプリントGT」に白羽の矢が立った。
開発は当時のレース部門を担当していたアウトデルタが行った。まずアウトデルタは徹底的な軽量化に着手。ボディ外板を厚さ1.2mmの「Peraluman 25」と呼ばれる、7~10%のマグネシウムを含んだアルミ製ボディパネルへと置き換え、カンパニョーロ製マグネシウムホイール、プラスチックサイドウインドウ、アルミ製リアアッパーコントロールアームなどを採用。内装も簡素化された軽量なものを使用し、ノーマルから200kg近い軽量化に成功している。
一方でエンジンでは、「ツインスパーク」としてその後のアルファロメオに普及していく、ツインプラグシリンダーヘッドを採用。1570ccのアルミ製エンジンにウェーバー 45DCOE14ツインキャブ、マグネシウム製のカムシャフトカバー、オイルサンプ、タイミングカバーにクラッチハウジングを組み合わせ、エンジン単体でも標準モデルより軽量化が行われている。スペックとしては、ストラダーレ仕様で115 hp、コルサ仕様で170 hpを叩き出す。
こうして誕生した競技仕様ジュリアは、その軽さから”Alleggerita”、つまり軽量を意味する頭文字を付け加えた「GTA」と名付けられた。500台を生産し、グループ2のホモロゲーション公認を受けたジュリアGTAは、1966年から1969年までのETCを連覇。数々のツーリングカーレースで勝ち星を記録し、GTAの称号は伝説となった。
501台が生産されたというジュリアGTAはその成り立ちから、主に競技仕様として工場を出ることが多かった。またストラダーレ仕様をレース仕様に改造した個体も多く、当個体のようにストラダーレ仕様のオリジナルの姿を残している個体は貴重と言える。