株式会社BINGO

2025/01/10 FRI - 2025/01/12 SUN

:

SUPER CAR AUCTION

1981 BMW M1

  • 生産台数わずか465台
  • Mシリーズの原点とも言われる「M1」
  • 走行距離18,598km

BMW M1は、当時グループ4・グループ5で向かうところ敵無しだったポルシェ934やポルシェ935に対抗すべく開発されたミッドシップスポーツである。
ボディーデザイナーにジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザイン、シャシー開発にジャンパオロ・ダラーラという強力な体制を整え、1979年にデリバリーが開始。
しかし、その期待とポテンシャルの高さとは裏腹に、生産性の悪さやグループ4の規定改正といった不運が重なり、短命に終わってしまった非常に珍しいスーパーカーとして知られている。

BMWモータースポーツ社にはミッドシップスポーツカー開発の経験がなかったため、スーパーカーの生産には定評があったランボルギーニ社に設計と生産をアウトソースする形を当初は採っていた。
また、オイルショックにより世界経済が混乱にあえぐ中、BMWモータースポーツ社では当初、4.5ℓV型12気筒エンジンを積む計画もあったが、時は不況のさなか、燃費が悪く重いエンジンは時代遅れという世論を考慮したかのように、BMWはV12エンジンの開発を断念し、すでに実績のあるM88型の3453cc直列6気筒DOHCエンジン搭載に企画変更される。
M88エンジンは全長が長く、それに伴ってホイールベース延長を余儀なくされ、デザイン修正する必要に迫られた。その反面、ドライサンプ仕様にするなど、低い重心を手に入れることに成功している。

開発は順調に進んだものの、ランボルギーニもまた、続く不況とオイルショックの影響や、ウラッコの失敗により経営危機に陥っていたため、資金難に陥っていた。BMWは予定どおりの発表を目指して、ランボルギーニ側に会社買収の提案などを行なうものの、労働組合の反対などにあって、事実上、コラボレーション事業の継続が困難となる。
BMWは1978年、ついにランボルギーニとの提携を解消し、プロジェクトをミュンヘンに引き上げ、ドイツのバウア社にその生産を委託することにした。

こうして、1978年のパリサロンにて、およそ一年遅れでBMW M1はようやく日の目を浴びることとなった。

苦心の末に正式発表へと漕ぎ着けたM1だが、生産効率のあまりの悪さと、それに伴うコストの増加により、販売価格も跳ね上がり、思うように生産が進まなかった。月3台前後の生産がやっとという状態で、グループ4の参戦条件である「連続する12ヶ月の間に400台の生産」をクリアすることなど到底、不可能。当然、目標としたグループ4参戦も叶わず、特例により参戦可能となったのは1981年のことだった。

念願の参戦が認められたにも関わらず、グループ4は1982年に廃止され、新たにグループCという新カテゴリーが実施されることになっていたためM1の生産は短命に終わってしまう。BMWはそれにもめげずに起死回生案としてマックス・モズレーと組み、“プロカー”シリーズを企画します。F1の前座でM1とF1レーサーによるワンメイクレースを開催。これを足がかりにして、ニキ・ラウダとロン・デニス、そしてマールボロのMP4プロジェクトが本格稼働したというのは、有名な話である。

生産台数は僅か465台といわれ、幻のスーパーカーとされている。277馬力を出力するロード仕様、470馬力のグループ4仕様、ターボを装着した850馬力のグループ5仕様、などが存在する。

BMWの高性能車、Mシリーズの原点でもある「M1」。近い将来、BMWが復活を狙っているとも噂されており、今後ますます注目の希少車といえるだろう。

LOT NUMBER10

¥95,000,000 -
¥115,000,000

車台番号 4301020
オドメーター 18,598 km