株式会社BINGO

2024/11/16 SAT - 2024/11/17 SUN

:

JDM Collectible Auction

2000 Toyota Supra GT500

  • JGTC参戦車両
  • 竹内浩典氏&立川祐路氏がドライブしていた車両
  • エンジン、トランスミッション未搭載
  • 内外装リフレッシュ済

全日本GT選手権(以下:JGTC)は1993年よりスタート。2004年にスーパーGTへと名前を変更しながらも、現在も開催されている人気の箱車レースだ。
そのJGTCに2000年に参戦していたのがこの車両となる。

現在のオーナーでもあり、1996年からGT500クラスへとステップアップし、スープラのステアリングを握っていたのが竹内浩典、その人だ。
現在は、富士スピードウェイの西ゲート真横に事務所を構える株式会社シフトの代表として富士スピードウェイでのレンタルレーシングカーの運営や、ドライビングスクールを開催。そのシフトの工場にJGTC スープラが眠っていることが、Xを通じて拡散された。
なぜそこに当時のレーシングカーがあったのか。
答えはシンプルで、スクラップになるはずだった車両を譲ってもらったという、今では考えられない流れで手に入れたそうだ。
その時から、エンジン、ミッションなど、エンジン周りのパーツは取り外され、メーカーに返却された状態となる。

竹内氏といえば、1996年のGT500のデビュー戦で、カストロールカラーのスープラを操り、優勝。その後も、2001年にはauカラーでシリーズタイトルを獲得し、翌年は富士で開催された2レースを完全制覇するなど、スープラ使いとして名を馳せた。

ワイドトレッドに、ショートホイールベース。
タイヤを覆い隠すように、大きく迫り出したサイドフェンダー。
「今見ても、かっこいい」
竹内氏の口からぽろっと出てきたその言葉は、なんとも感慨深いものがあった。

この個体は、シートレールに『右京』と油性ペンでマーキングされていたり、ロールゲージに『00 03』 と刻まれていることから、2000年に、竹内氏と、立川祐路氏がドライブする、FKマッシモ号として仕様され、立川選手の23年に渡るGT500 ドライバーの初優勝を獲得した車両だと推測される。
その後、38号車は最終戦もてぎまでチャンピオン候補であったため、もてぎでは新造シャーシを38号車のFK/マッシモセルモスープラに、当個体を「#33 cdmaOne セルモスープラ」としてエントリーした。木下隆之と近藤真彦のペアがドライブし、シーズン初の10位入賞を果たしている。シーズン終了後はセルモの管理下で保管されていたが、2001年のJGTC第6戦鈴鹿での「#33 Team UKYOスープラ」のクラッシュにより、スペアとして第7戦美祢で再びサーキットに姿を現した。旧型車でありながら13位で完走し、このレースを最後にサーキットから退いた。

株式会社 KRAFTに貸し出され、2003年のKRAFTの車両である「#35 プロジェクトμ エスペリアスープラ」のカラーリングが施され、各地イベントを回っていたため、ENKEIのホイールにダンロップのタイヤが装着される状態となる。
現状も、エンジンミッションは搭載していないが、当時歴戦を戦い抜いた、ボディーとシャシーは健在。ボディーに関しては、白でオールペンを行い、内装に関しては、徹底的にクリーニングが行われた状態での出品となる。

LOT NUMBER8

SOLD FOR:

¥19,980,000

VIN 00/99 05168